熊本在住の作家による短編小説『NAMIKO または、1990年のフール・オン・ザ・ヒル』を紹介します。
「人生でいちばん意味があったのは、好きだった映画のことと、あの子の後ろ姿のことだけだった」
そんな気持ちを、ずっと心の奥にしまって生きてきた人に贈りたい短編小説。
1990年の福岡。
広告代理店を辞め、遺産で買った“丘の上の部屋”に住む語り手・日下部了。35歳。
ビートルズを聴きながら、ゴダールのカット割りを思い出し、ウディ・アレンのセリフをこぼす。
そうやって過去と未来の間に立ち尽くす彼が、語り直すのは「ナミコ」という名の3人の女性との物語だ。
語りはまるで、古い映画のモノローグ
『NAMIKO』はストーリー小説というより、“回想をめぐるモノローグ文学”に近い。
そこにはプロットらしいプロットはなく、ただ記憶の中の断片が、フィルムの静止画のように語られていく。
けれどそれが、妙にリアルなのだ。
映画に夢を託した男。恋に敗れた男。
青春の途中で立ち止まり、大人になることに失敗したまま、どこかに留まってしまった男。
日下部了という主人公の視線は、まぎれもなく90年代に“何かを失った世代”のものだ。
あの頃、カルチャーは人生そのものだった
この物語を読むと、あの頃の「感受性の濃度」を思い出す。
CDの帯に書かれた言葉、ロードショーで観た映画のラストカット、深夜ラジオで偶然聴いたビートルズ。
それらは決して“知識”や“趣味”ではなかった。
アイデンティティであり、祈りであり、恋そのものだった。
『NAMIKO』には、そういうカルチャーを血肉にして生きてきた人間の“にがくて美しい残響”がある。
それが言葉のリズムと温度で語られているから、読みながら自然と「自分の人生のB面」が浮かび上がってくる。
誰の心にも、あのとき言えなかった「セリフ」がある
『NAMIKO』は派手な展開のない、静かな小説だ。
だけど読み終えたあと、ふと手を止めてしまう。
何年も前に、誰かの背中を見送った瞬間。
もう二度と聴かないと思っていたレコードの音。
いつか自分も、あの映画のように語れると思っていた時間。
そんな「どうしようもなく、愛おしいものたち」が、ページのすき間から立ちのぼってくる。
あなたにとっての“ナミコ”を、思い出してほしい
この物語は、ある種の“語りの実験”であり、“人生の編集作業”でもある。
もう叶わなかった夢のことを、ユーモアと自嘲で包んで、そっと差し出すような作品だ。
きっと、40代を過ぎたあなたならわかるはずだ。
若い頃、全力で愛したカルチャーは、今もどこかで自分を支えてくれている。
そして語ることでしか、整理できない過去があることも。
『NAMIKO または、1990年のフール・オン・ザ・ヒル』は、
そんなあなたの“記憶の再生装置”になるかもしれない。
※このレビューは当店のスタッフが執筆しました。
著書名:NAMIKO または、1990年のフール・オン・ザ・ヒル
出版社:熊日出版
定価 :本体900円+税
ISBN-10:4911007109
ISBN-13:978-4911007105